平成25年8・9月号



赤城香織/文 はらだゆうこ/絵 (西日本新聞社)

 りょうたの家(いえ)にある、100年(ねん)いじょう前(まえ)にたてられたくらは、りょうたの大(だい)すきなひみつきち。そんな大切(たいせつ)なくらがこわされることになってしまったのです。「なんでこわすんだよ」とりょうたがないていると、なんと、くらにおいてあるがらくたがしゃべりだしました。そして、おどろくりょうたがつれていかれたのは、がらくたたちが生(う)まれた江戸(えど)のまち。なおし屋(や)の手(て)によって、がらくたたちがうまれかわります。
  えほん



かんのゆうこ/作 (講談社)

 フェリエの国(くに)は、人(にん)間(げん)の住(す)む世(せ)界(かい)とにているところもありますが、花(はな)や木(き)など、いろいろなことが少(すこ)しずつちがっています。
 そんなフェリエの国(くに)に住(す)んでいるはりねずみのルーチカ。家(いえ)にのこっていたジャムが全部(ぜんぶ)なくなってしまい、あかすぐりのジャムを作(つく)ろうと、実(み)をあつめるために森(もり)へ出(で)かけます。とちゅう、なかよしのもぐらのソルと出会(であ)い、二人(ふたり)は歌(うた)いながら、さらに、森(もり)のおくへと向(む)かいます。
  中学年から



石井睦美/作 (講談社)

 りえ、みな、ゆかは、小学(しょうがく)二年(にねん)のなかよし三人組(さんにんぐみ)です。すずしいところをもとめて三人(さんにん)が行(い)ったのは、赤(あか)い鳥(とり)居(い)の“はたおり神社(じんじゃ)”。小屋(こや)を見(み)つけて入(はい)ってみると、中(なか)はがらんとしていて、まん中(なか)にたった一(ひと)つ、なんだかわからないものがおいてありました。三人(さんにん)がそれをがたがたとゆすりだした時(とき)、声(こえ)がきこえ、そこには、真(ま)っ白(しろ)なきものをきたおばあさんが立(た)っていたのです。
  低学年から



横山充男/作(文研出版)

 毎年(まいとし)八月(はちがつ)一日(ついたち)に行(おこな)われる神(しん)柱(ばしら)祭(さい)。四万十川(しまんとがわ)に突(つ)き出(で)た岩(いわ)山(やま)のてっぺんから、木(き)の柱(はしら)を川(かわ)の方(ほう)に突(つ)き出(だ)して、そこから飛(と)びこむ神事(しんじ)です。参加(さんか)できるのは十二歳(じゅうにさい)の男(おとこ)の子(こ)だけに限(かぎ)られています。
 小学(しょうがく)六年生(ろくねんせい)の勇人(ゆうと)は、父親(ちちおや)も祖父(そふ)も飛(と)んだという理由(りゆう)で、神柱(しんばしら)祭(さい)に参加(さんか)するよう、父親(ちちおや)から言(い)われました。十(じゅう)メートルもの高(たか)い所(ところ)から飛(と)びこむなんて、じょうだんじゃないと考(かんが)える勇人(ゆうと)ですが・・・。 
  高学年から