令和6年8月号



川之上 英子/文 川之上 健/文 大島 妙子/絵  アリス館

 今日(きょう)はじゅぎょうさんかん。ぼくは、お母(かあ)さんについての作文(さくぶん)を読(よ)みます。お母(かあ)さんは、びようしさんです。えきまえのびようしつではたらいていて、しごとがおわってから、じゅぎょうさんかんに来(き)ます。ぼくが作文(さくぶん)を読(よ)んでいる時(とき)に間(ま)に合(あ)うかどうか、しんぱいです。今日(きょう)にかぎって、かみのけのすごーく長(なが)い人(ひと)が来(き)て、切(き)るのに時間(じかん)がかかったりしないでしょうか。そうしたら、作文(さくぶん)を読(よ)んでいるすがたを見(み)てもらえません。さあ、お母(かあ)さんは間(ま)に合(あ)うでしょうか?



麻生 かづこ/作 くすはら 順子/絵 文研出版


 ぼくは外(そと)で遊(あそ)ぶことより、家(いえ)でゆびあみをしたり本(ほん)を読(よ)んだりするのがすきです。しかし、ママはぼくにサッカーをさせたがっているみたい。ママにいわれて、こうえんに行(い)くと、木(き)の上(うえ)のほうにリスがいることに気(き)がつきました。リスはぼくを見(み)たあと、えだをわたってどこかへ行(い)ってしまったのです。リスのあとをおって、ぼくもこうえんのおくのほうへと入(はい)っていくと、同(おな)じクラスの女(おんな)の子(こ)にあいました。その子(こ)はぼくより、体(からだ)も声(こえ)も大(おお)きく、力(ちから)もつよく、外(そと)であそぶことが大(だい)すき。ぼくとはせいはんたいで、とても女(おんな)の子(こ)とは思(おも)えないほど。ぼくがその子(こ)から走(はし)ってにげると、リスにそのようすを見(み)られていたのです。

        低学年から

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「ひみつだけど話します」

堀川 理万子/作・絵  あかね書房

 ぼくは足立(あだち)典生(のりお)。大人(おとな)になったら電車(でんしゃ)の運転士(うんてんし)になりたいという夢(ゆめ)を持(も)っていますが、そのことは、まだ、だれにも言(い)っていません。学校(がっこう)から帰(かえ)るとふみきりに来(き)て、電車(でんしゃ)を見(み)るのが楽しみです。
 ある日(ひ)、いつもと同(おな)じように電車(でんしゃ)を見(み)ていると、同(おな)じクラスの小川(おがわ)さんに会(あ)いました。小川(おがわ)さんはなんだかいつも楽(たの)しそうに見(み)えます。その次(つぎ)の日(ひ)も、ふみきりで小川(おがわ)さんに会(あ)いました。「なにしてるの?」と聞(き)かれたぼくは、ひみつにしていた電車(でんしゃ)の見方(みかた)を教(おし)えてあげたのです。



「要(かなめ)の台所(だいどころ)」

落合 由佳/著  講談社

「要(かなめ)ちゃんって、スパイスみたいな子(こ)だよね」とクラスメイトに言(い)われてしまった要(かなめ)は、引(ひ)っ込(こ)み思案(じあん)で、自分(じぶん)の気持(きも)ちを表(おもて)に出(だ)すことができません。そんな要(かなめ)は、ある日(ひ)、家(いえ)のベランダでネパールから来(き)たという女(おんな)の子(こ)に会(あ)います。自分(じぶん)で作(つく)ったクッキーを差(さ)し出(だ)すと、その日(ひ)の夜(よる)に、ベランダの仕切(しき)り板(ばん)とコンクリートの床(ゆか)のすきまに「おいしいでした」と書(か)かれたカードが差(さ)し込(こ)まれていたのです。自分(じぶん)が作(つく)ったクッキーを家族(かぞく)以外(いがい)の人(ひと)においしいと言(い)ってもらえたことがうれしい要(かなめ)は、それからもカードのやり取(と)りを続(つづ)けるのですが…。