バックナンバー vol.5

伊万里市の泉秀樹副市長がおすすめする本の書評を掲載しています。
紹介された本は毎回、市民図書館の中央サービスデスクで展示していますので、どうぞご覧ください。
本を読みたい方は予約もできますので「本の詳細」をクリックしてください。


令和元年12月 『大地の子』山崎豊子/著 文藝春秋 「本の詳細

 『大地の子』の執筆のために山崎豊子さんは小説の舞台である中国大陸での取材に3年をかけ、結局小説を書き終えるのに8年もの歳月を費やされたそうです。その当時中国は改革派の胡耀邦氏が総書記で、山崎さんは胡耀邦氏から「中国の良いところも悪いところもすべて書いてください。」と言われて、通常外国の人が立ち入れないような所へも行って取材することができたと話されています。胡耀邦氏が総書記だったのは5年間位ですので、現在の中国の閉鎖的な状況から考えても、『大地の子』は山崎さんの強運が生んだ奇跡のような小説とも言えると思います。 さてこの小説は、中国残留孤児(山崎さんは戦争孤児と表現するべきと主張されています)である兄妹の運命を描いたものですが、本がベストセラーになりテレビドラマにもなったので多くの方が知っておられると思います。
 私は最初はテレビドラマを見たのですが、物語の最後のほうで中国東北地方の農家に引き取られ、悲惨な生涯を送った妹のあつ子が息を引き取った直後に、苦労の末に居所を探し当てた兄妹の父(俳優の仲代達也さん)が訪れる場面は、ぞうきんを絞る程涙を流した記憶があります。当時は子だくさんの時代でしたので、あつ子と同じような、いやもっと悲惨な境遇に置かれて人知れず亡くなった戦争孤児が数多く存在した事に本当に心が痛みます。
 一方、兄の勝男のほうは、その後に起こった国共内戦(国民党軍と当時八路軍と呼ばれていた共産党軍の内戦)や文化大革命を、心優しい養父母の助けもあってたくましく生き抜き、製鉄所建設に携わるようになり、そこで図らずも父と再会します。読み応えの充分な長編小説ですが、次の物語の展開がどうなるか早く先を読みたい気持ちを抑えきれない程興味深く、内容のある小説ですので、意外と早く読み終えた人も多いのではないでしょうか?
 さて皆さんは、国共内線で敗れて捕虜となった数十万人に及ぶと言われる国民党軍の兵士がどういう運命をたどったかご存知ですか? 彼らは、その後に勃発した朝鮮戦争に共産党への忠誠度を試すという名目で「義勇軍」として最前線に駆り出されました。要するに突撃部隊です。戦闘で逃げたり退却したりする者は、後続する完全武装の共産党軍兵士から容赦なく射殺されました。米軍兵士はこの時の事を「後から後から波のように敵兵が押し寄せてきた。中には武器を持たない者もいた。悪夢のようだった。」と証言しています。このため米軍は退却を余儀なくされ、結局は北緯38度線まで押し戻されます。このような悲惨な事があったのも、ついでに知っておいてください。


令和元年11月 『私の宝箱』 釣春秋 本の詳細

 私の父が亡くなってから30年程経つのですが、父は釣りが好きで私が小学校に上がる前から川や海へ釣りに連れて行ってくれました。私が小学校高学年から高校1年生くらいの時は、それこそ毎週末と言っても良いくらい、一緒に伊万里周辺や長崎県平戸周辺の島々の堤防や磯に釣りに行ったので、その時々の父との想い出は数限りなく残っています。
 さすがに私が高校2年の後半くらいになり、大学受験が目の前にちらつきだしてからは父の誘いを断る事が多くなったのですが、その時の父の寂しそうな顔は今でもよく覚えています。
 社会人になってからは長崎県上五島の津和崎という少し遠方に職場の先輩方と一緒に行くことが多くなったのですが、私が一番若かったので皆さん方からいろいろと心配りをしていただいた事、その恩に便乗して殆どの場合、私が皆さん方よりたくさん釣っていた事などが楽しく思い起こされます。今では当時の息子(小学生くらい)さんが船長になっていまして、あの頃無口で怖かった親父船長さんのエピソードや故人となられた方も何人かいらっしゃるんですが、先輩方とのいろんな想い出がたくさん残っていて、友達以上の付き合いをさせていただいたと感謝しています。
 『私の宝箱』は、釣りが好きでたまらなかった人たちの釣りに関するいろんな体験や想い出を集めた本ですが、冒険味や人情味がある話も多くあって、釣りにあまり興味がない人でも面白く読めます。だいぶ前に出版されており、確か父が私に買ってくれた本だと思うのですが、私は何度読んだかわからないくらい繰り返し読んだ記憶があります。
 この本の内容で異色なのは、尖閣諸島に釣りに行ったという人のエピソードです。残念ながら当時は船にGPSが無かった時代で、絶海の島である尖閣諸島は秘境とでも言うべき場所だったのでしょう。この人は、その時は島を発見できずに虚しく戻ったそうですが、そのすぐ後に再度、尖閣諸島を目指して釣行したと書かれています。実際に島に上陸して釣りをした体験でも書かれてあればより面白いのですが、この話だけでもやはり尖閣諸島は日本固有の領土であることがわかりますよね。そういう事があったのを日本政府に教えてやりたいくらいです。


令和元年10月 『竜馬がゆく』司馬遼太郎/編 文藝春秋 本の詳細(立志篇)」

 『竜馬がゆく』は多くの書物等で紹介されたり、既に何度もNHKの大河ドラマのタイトルになったことで、ほとんどの方が知っておられる程有名な小説ですが、この本を最初から最後まで通読された方は意外と少ない(?)のではないかと思います。またこの本が出版される事により、それまで無名だった坂本龍馬の名前を、日本人なら誰もが知るようになったと言われていますが、司馬氏が「龍馬」を「竜馬」と表記したのは少々その人物像に小説的な脚色を加えたからのようです。
 司馬氏は日本の歴史上の人物を描いた小説を数多く執筆されており、私は河井継之助の『峠』、西郷隆盛の『翔ぶが如く』、江藤新平の『歳月』などを読んだ後で、遅ればせながら『竜馬がゆく』を読んだのですが、その時感じた何とも言えない違和感を今でも覚えています。
 この違和感を私はうまく表現できないのですが、この小説がそれまで読んだ小説の重厚感のある文章や物語の展開とは異なり、軽快で簡明な文章で綴られていて話の展開が明るく、またユーモアをもって表現されている箇所が随所にあるという事です。
 例えば、龍馬と西郷が薩摩藩邸で初めて対面する場面を描いた、殆ど漫画チックな部分を読んでいただければ納得できるのではと思っています。
 司馬氏は産経新聞の文化部の記者から小説家に転身されてほどなく、この本を執筆されており、そういう事からも司馬遼太郎氏は坂本龍馬という人間がよほど好きだったんだなと感じる次第です。
 小学生でも読める楽しい本ですので、ぜひ皆さん読んでみてください。


令和元年9月 『司馬遼太郎の世界』文藝春秋/編 文藝春秋 「本の詳細

 この本は、各界の著名人の方々が書かれた司馬遼太郎氏への追悼文をまとめたもので、司馬氏が亡くなられてまもなく発刊されており、何となく読んでみたい気になって、私が読んだのは丁度40歳の時でした。 それまで私は司馬氏の名声は耳にしたことがあったものの、その著作を読んだことはありませんでしたが、著名人の方々が口を揃えて司馬氏の事を称賛され、亡くなられた事を心から惜しみ、ご自分の心に残る著作の数々を紹介されているので、「そんならひとつ読んでみようか。」と思い立ったのが、私が読書をするようになった契機ですので、時期的には人様よりだいぶ遅かったのではないかと思います。それから4~5年間は司馬遼太郎氏の小説ばかり読んでいた記憶があります。
 さて、皆さんは司馬氏が膨大な著作を執筆された場所(御自宅)がどこなのかご存知ですか? 司馬氏の御自宅は、しばらく前になりますけど暴力団の抗争や殺人事件などで有名になった東大阪市の、近鉄奈良線沿いで河内小阪駅と八戸ノ里(やえのさと)駅の丁度中間付近に今でもあります。 このあたりは大阪の下町の雰囲気があって、人も車も家の前を行き交う“雑然とした“とでも表現できる何の変哲もない所なのですが、さすがに当時のままに残されている司馬氏の書斎は木立に囲まれた狭いながらも庭があり、ちょっと世間と隔絶した感がある静かな落ち着いた空間といった場所です。 その隣の敷地には、地上2階地下1階建ての「司馬遼太郎記念館」が建てられており、司馬氏が所蔵されていた膨大な書籍類などが展示されていますので、是非一度訪れてみられたらいかがでしょう。
 ちなみに、私は姉が近鉄奈良線沿線に住んでることもありまして、これまでに3回程訪れ、司馬遼太郎の世界に浸ってきました。



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