バックナンバー vol.4


伊万里市の泉秀樹副市長がおすすめする本の書評を掲載しています。
このページは以前に紹介された本が並んでいます。
本を読みたい方は予約もできますので「本の詳細」をクリックしてください。



令和元年8月 『
落ちこぼれてエベレスト』野口 健/著 集英社インターナショナル 「本の詳細

 野口健氏の講演会が、当時佐賀市水ケ江町にあった佐賀市民会館で開催されると聞き、野口氏がテレビ等にも時々出演されるちょっとした有名人であり、事前予約不要で入場無料だったので、出かけて行ったのは今から8年前の2011年1月だったとの記録が、私の携帯の写真に残っています。
 講演内容は登山の話とご自分がやっておられる様々な活動の話を中心とした大変面白いものでしたが、野口氏の魂のこもった精力的な話は延々と続き、1時間半の予定時間を超え、結局は2時間余りも話し続けられたという記憶が残っています。 また講演の後には、会場入口付近で販売されていた野口氏の著書を購入した全ての人との握手会が開催されました。私は野口氏の本を買うのは初めてでしたが、2冊程購入していたので参加する資格を得て、握手の後で携帯には野口氏との2ショットを収めさせていただきました。 並んで立った野口氏は、身長や体格は私と変わらないのですが、2時間以上の講演をこなされた直後で、たくさんの人との握手や写真撮影を疲れた顔は全く見せず、にこやかにこなされておられる様子に、「この人は本当にタフな人なんだな~。」と感心したものでした。
 『落ちこぼれてエベレスト』は、子供の頃、勉強がきらいで目立たなかった野口氏が、何かひとつ人に負けない事を見つけようと南極を含む7大陸の最高峰を世界最年少で制覇する夢の実現に向けて、挑戦するに至ったいきさつと実際の登山の様子を綴った本で、面白く読むことができます。
 野口氏の非凡なところは、最高峰へ挑戦する中からエベレストに残る登山者が残した多くのゴミの問題、登山者を支援するシェルパと呼ばれる人達が遭難された時の遺族補償の問題等に気づき、それらの問題を少しでも解決するために尽力を続けられている事です。 国内では、以前はゴミの山と呼ばれていた富士山の清掃を毎年されており、今では多くの方々が参加するようになったのは有名ですよね。



令和元年7月 『モンスター』百田尚樹/著 幻冬舎 「本の詳細

 『海賊とよばれた男』という本が本屋大賞を受賞したというニュースをネットで知り、聞きなれない賞だったのですが興味を覚えて読んだのが、私が百田尚樹氏の著作に触れた契機でした。
 それ以来、佐賀市立図書館や本屋さんに置いてある百田氏の本は手当たり次第に読んだものですが、小説のテーマになっている対象のジャンルの広さや百田氏の博識には驚きを感じたものでした。特に私が昨年、最初に書評で取り上げた『風の中のマリア』は、スズメバチという昆虫を主人公にした珍しい小説で、大人はもちろん子供さん達にも興味深く面白く読める、物語り的な小説ですので是非読んでみてください。
 百田氏は長編小説はもちろん短編も数多く書かれているのですが、小説の最後に感動的で読者に強い印象を残す描写がある作品が多いのも、氏の小説の一つの特徴ではないかと思います。『モンスター』もその手法(?)が使われた小説のひとつなのですが、美容整形により美しく生まれ変わっていく少女の人生と究極の美しさを手に入れたその少女(女性)にどういう結末が訪れるのかを描いています。
 世の女性はもちろん男性にとっても考えさせられる事が多い、ある意味問題提起の小説であり、“人間の本当の幸せとは何か”を考えるきっかけともなり得る小説ですので、皆さん一度読んでみてください。



令和元年6月 『昭和16年夏の敗戦』猪瀬直樹/著 中央公論新社 「本の詳細

 太平洋戦争開戦前の昭和16年夏頃、軍の若手エリート達がひそかに集結し、持てる頭脳を結集して対米戦争に突入した場合の綿密なシミュレーションをあらゆるケースを想定して実施しました。
 その結果、ほぼ全てのケースで最終的には日本は米国に勝ち目は無いという事がわかったのですが、それにもかかわらず日本は対米開戦の道を選んでしまいました。
沈んだはずの日本軍の船がいつの間にか作戦に参加していたり、米国の潜水艦により沈められる輸送船の数を過少に評価したり、日本の工業生産力を実際より割り増しして有利になるよう改ざんした報告書が軍上層部には上げられたようです。上記のような事情への憤りと日本が無謀な戦争に突入した事への慚愧の念でこの本は執筆されているようです。
 敗けることがわかっていた米国との戦争は避けるべきだったことについては、日本人なら誰でも全面的に賛同するでしょう。しかし、では戦争を避けることができたかどうかについては、私は議論の余地があるのではないかと思っています。
 現在では多くの識者が指摘していますが、イギリス首相チャーチルと米国大統領ルーズベルトの間には、米国が対独戦争に参戦するという密約があったと言われています。そのためにはドイツと軍事同盟を結んでいる日本に戦端を開かせる必要があり、そのことが米国が日本に対して強硬で厳しい姿勢を示したハル・ノートに繋がったのでしょう。
 では日本がハル・ノートを受け入れていれば戦争は回避できたのかといえば、相手が石油の全てを米国から輸入している日本ですから、密約を履行するために日本を追い詰め得る選択肢は米国にはいくつもあったと思われます。
日本は三国同盟を結んだ時点で、既に道を間違っていたのではないでしょうか?
大国の意志による大きな歴史の流れというものは、そう簡単に変えることはできないのではないかとつくづく思います。


令和元年5月 『日本の一番長い日』半藤一利/著 文藝春秋  「本の詳細

 太平洋戦争は皆さんご承知のとおり、昭和20年8月15日正午にラジオで放送された昭和天皇の玉音放送で終戦を迎えたのですが、実はあの玉音放送は生放送ではなく、事前に収録された昭和天皇による終戦の詔勅の録音盤が放送されたものだったことをご存知ですか?
 当時、その録音盤の存在を察知した多数の陸軍の徹底抗戦派(本土決戦を主張していたグループです)が、録音盤奪取のために8月14日から15日未明にかけてクーデターまがいの行動を起こします。この本にはその一部始終が詳細に描写されており、奪取する側と守る側とで手に汗を握るような緊迫した場面が展開されます。結果的に徹底抗戦派は録音盤を発見できずに、私達が何度も見聞したとおり終戦の詔勅が無事に放送されたのですが、もし発見されていれば想像したくない事ですが戦争はさらに継続されていたことは疑いありません。 
 米国英国との太平洋戦争をめぐっては、2回の御前会議が開かれています。
 1回目は開戦の前、この時は陸軍・海軍ともに開戦の意志を固めていて、天皇の裁可を仰ぐための御前会議だったのですが、昭和天皇は開戦に反対のお考えにも拘らず、自身の気持ちを歌った和歌を詠まれたものの当時の憲法に従い裁可されました。
 2回目の御前会議は終戦直前に開かれており、この時は終戦か戦争継続かに意見が分かれ、誰も決める事ができなかったので天皇の決断を仰ぐための会議であり、1回目と違い憲法の趣旨から逸脱するものだったのですが、昭和天皇は即座に終戦を決断されました。
 そんなに重い天皇の決定に対しても納得しない人間達がいたということを、歴史の事実として知っておくべきではないかと思います。



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