副市長の本棚 バックナンバー vol.3

伊万里市の泉秀樹副市長がおすすめする本の書評を掲載しています。
このページは以前に紹介された本が並んでいます。
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平成31年4月 『国家なる幻影』石原慎太郎/著 文藝春秋 「本の詳細

 石原慎太郎氏は東京都知事をされていた時、毎週金曜日午後に記者会見を開かれていたんですが、その時の石原氏の発言内容や記者とのやり取りの詳細が東京都のホームページに掲載してあり、私はそれを仕事中にも拘らず殆ど欠かさず読んでいました。通常、政治家の話というのは面白くないものですが、石原氏は作家でもあり、若い時に芥川賞を受賞されて以降、私生活の面でもまた政治家としても尋常でない経験を積み重ねてこられたこともあり、その話は興味深くまた示唆に富んだものが多かったと思います。
 例えば、太平洋戦争末期の頃、日本のあらゆる都市を焼き尽くす焼夷弾による焦土作戦を考案して実行にうつしたカーチス・ルメイというアメリカ軍の軍人がいます。信じ難い事ですが、終戦後暫くして日本国は航空自衛隊創設に多大な功績があったとして(国土を焼き尽くすことに貢献した)彼に勲章を授与しました。この事実は石原氏の話を聞くまで私は知りもしなかったし、知ったからどうという事はありませんが、こんなことでいいのかという事例の一つとして知っておくべき事ではないでしょうか?
 また都知事としての石原氏は、皆さんご存知のように『ディーゼル車NO作戦』、『首都大学東京の創設』、『新銀行東京の創設』など、中には当初の思惑どおりにいかなかったものもありますが、様々な斬新な政策を実行され、また危機的だった東京都財政の建て直しを断行し、複式簿記導入や米軍横田基地の(空域や軍民共用)問題にも積極果敢に取り組まれました。個性が強すぎる性格もあって、東京都庁にろくすっぽ出勤しないと散々たたかれたりもしましたが、人物の好き嫌いはあっても石原氏の都知事としての実績と存在感は傑出したものであったと私は考えています。
 前書きが長くなりましたが、「国家なる幻影」は政治家としての石原氏の実体験をもとに、国家としての日本のあり方を問うた小説で自伝的な小説でもあります。石原氏が得難い経験をする中で、どのように考えどう行動されたかをつぶさに知ることができるのですが、石原氏の国に対する忸怩たる思いが伝わってくる代表作ともいうべき作品であると私は思います。


平成31年3月 『漂流』吉村 昭/著 新潮社 「本の詳細

 歴史小説家としての吉村昭氏が作品を書き上げる際に採った手法は徹底した現場主義であり、関係者に対する綿密な取材と現地の図書館等に残る資料の収集を徹底的にやり、後は文献等を参考にして作品を書き上げるというものです。このため吉村氏は、歴史の宝庫である長崎を100回以上も訪れたそうで、このことで長崎市から表彰を受けられています。
 吉村氏が最初に書かれた歴史小説は「戦艦武蔵」ですが、これを読めば吉村氏が現場主義の考えのもと、当時の出来事を忠実に再現するのに心を砕かれた事が伺い知れます。「漂流」という小説も実話をもとに吉村氏の上記のような作風により執筆されていますので、どのような結末が訪れるのか想像できなくもないのですが、その事を割り引いても心に響く大変良い小説だと思います。
 主人公の長平は船で遭難し無人島に流れ着くのですが、もう一度家族に会いたいとの強い思いから様々な苦難に会いつつも生き延びます。長平が経験した苦労や絶望に較べれば、普段私たちが職場や社会生活の中で感じる悩みや不満など、とるに足らないものに思えてきます。
 ですから私は、この小説を今そんな思いを抱えている皆さんに是非読んでいただき、人間は心の持ち方次第で、こんなにも強く生きることができるものだという事に気が付いて欲しいと思っています。さて、長平がどうやって帰還することができたのか、その方法や具体的な行動を知るだけでも感嘆と感動を覚えずにはいられません。是非一読されて、長平を褒めてあげてください。
 追伸 アホウドリを虐殺したことは褒められませんけどね。


平成31年2月 『空海の風景 上・下』司馬遼太郎/著  「上巻の詳細下巻の詳細

 私事で恐縮なんですが、長崎大水害があった昭和57年の12月から翌年1月にかけて当時は紅顔の美少年(青年?)だった私に、佐賀県から長崎市への災害派遣命令がありました。
 当時独身だった私は、長崎市役所の1部屋で来る日も来る日も復旧工事の設計書作成業務に従事したのですが、それを哀れに思った(?)長崎県庁の皆様が1月のある土曜日と日曜日に、災害応援に来ておられた他県の方々を含めて下五島福江島への1泊2日の旅行を企画してくださいました。
 その時見た大瀬崎断崖の迫力や懇親会をしていただいた荒川温泉の佇まいが懐かしく、2年ほど前に妻と一緒に福江島旅行に出かけてきました。その時、事前に福江島から奥さんをもらった友人から教えていただいた空海の書になるという「辞本涯」の碑に痛く感動しました。「辞本涯」というのは、”日本の最果ての地(涯)を去る”という意味で、その昔、遣唐使だった方々の覚悟を表現したものです。
 三井楽町の湾口で、すぐ前に姫島が浮かぶ岬に碑は建てられていますが、ここから西方を望めば島ひとつない東シナ海が拡がっており、これから帆船で千キロ以上の船旅をする人達の大きな不安と期待の心情が察せされます。また、福江島の南側には空海が帰国後、大陸で学んだ教義を整理し布教の構想を練ったといわれるお寺もあります。名前は忘れましたが…。
 さて『空海の風景』ですが、だいぶ前に読んだのと宗教に疎い私ですので、正直言うと殆ど本の内容が記憶に残っていないのですが、空海がひろめた真言宗が顕教に対して密教というものであること、また宗教に疎い私が面白く読めたという記憶だけが残っています。
 また、この本は司馬遼太郎氏の一番のお薦めの本だったようです。


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