副市長の本棚

伊万里市の泉秀樹副市長がおすすめする本の書評を掲載しています。
紹介された本は毎回、市民図書館の中央サービスデスクで展示していますので、どうぞご覧ください。
本を読みたい方は予約もできますので「本の詳細」をクリックしてください。


令和3年4月
『死という最後の未来』(その2)
石原慎太郎、曽野綾子/著 幻冬舎 「本の詳細

 石原慎太郎氏は、皆さんご存知のとおり昭和を代表する俳優、石原裕次郎氏の兄ですが、兄弟ともに優れた才能や容姿にも恵まれていたと思います。それだけに、ある大学教授が随分前に告白されていましたが、世間から嫉妬混じりの目で見られがちで、歯に衣着せぬ物言いで世間を騒がす事もあった慎太郎氏にその厳しい目が集中したのは否定できないでしょう。
 慎太郎氏の『弟』という本には、父親が早世された故に石原家の家計が危機に陥り、長男の慎太郎氏が相当の苦労をされた事や一橋大学在学中に芥川賞を受賞した後、映画の監督やシナリオライターとしての才能を活かして、弟の裕次郎氏がデビューする契機を作ったエピソード等があり、兄弟が二人でタッグを組んで世の中に挑戦した事が綴られています。
 慎太郎氏が政治家としての真価を発揮されたのは、選挙で圧勝して東京都知事になってからです。『国家なる幻影』の書評にも書いたのですが、都知事として東京都が抱える様々な難しい問題に取り組み、その多くを解決や実現に導いた顕著な実績には驚かされます。東京と言えば、以前は一日過ごせば唇が乾燥し、青空も見えないような深刻な大気汚染があったのですが、それを現在のようなキレイな空気に変えたのは慎太郎氏だと私は思います。ですが、それを実現させた政策の「ディーゼル車NO作戦」に全国の知事が殆ど誰も賛同しなかった事に、私は違和感を覚えました。唯一人、慎太郎氏のこの政策を支持したのが、当時の大阪府知事だった橋本徹氏なんですね。残念ながら慎太郎氏が実現できなかった課題と言えば、米軍の横田基地の軍民共用の問題と尖閣諸島でしょう。私は、今でも尖閣諸島は慎太郎氏にとって大きな心残りになっているのではないかと思うのですが、少し当時のできごとを紹介したいと思います。
 尖閣諸島は以前、個人(日本人です)が所有する島だったのですが、慎太郎氏は尖閣諸島を東京都で買収するために「東京都尖閣諸島寄付金」を全国に募りました。その結果、全国の趣旨に賛同する人々から14億円余りにのぼる多額の寄付が集まりました。これを資金として東京都は、尖閣諸島を所有する個人と買収交渉を重ね、ようやく契約にこぎ着けようとしたところに、当時、民主党政権(野田総理の頃です)だった日本政府が、約20億円という金額を提示して、その個人と買収契約を結んでしまったのです。まさに横取りと言うしかないやり方ですが、政府が何のためにそんな事をしたかというと、日本は尖閣諸島に指一本触れない、触れさせないようにする事を中国に理解させ、それにより中国を刺激しないという理由からでした。
 直後に日本政府が中国に送った外交文書に、尖閣諸島を国有化した意図としてこのことが明記されているようなのですが、それでも日本の尖閣諸島国有化に抗議する中国の人々により、日本人が経営する商店など多くの施設が破壊や略奪行為にあったことは皆さんご記憶のことと思います。国有化が裏目に出た形なのですが、当時の政府の行為が正しかったのかどうかは、今の尖閣諸島の状況を見ればわかるのではないでしょうか。あの時もし、尖閣諸島が東京都の所有になっていれば、慎太郎氏はすぐさま公言していた灯台の改修や荒天時に漁船が避難できる港を造ったでしょうし、尖閣諸島の貴重な自然や生態系を守るための調査や対策に着手したでしょう。
 日本政府が、すぐ後に民主党政権から安倍晋三氏が総理大臣の自民党政権になった事を考えれば、中国は東京都の行為に手を出せなかった可能性が高いと思われますし、まさに日本は千載一遇のチャンスを逃がしたのではないかと大変残念に思います。
 私は、このことを一番残念がってるのは実は慎太郎氏であり、この『死という最後の未来』の本で、慎太郎氏が人生への未練を語っているのも、これが最大の理由なのではないかと推察しています。もし東京都が尖閣諸島を買収できていたら、慎太郎氏の事ですから今頃、魚釣島(うおつりじま)に別荘を建てて悠々自適の生活をされていたかもしれませんね。  



令和3年3月
『死という最後の未来』
石原慎太郎、曽野綾子/著 幻冬舎 「本の詳細

 石原慎太郎氏は昭和7年9月生まれで現在88歳、曽野綾子さんは昭和6年9月生まれで現在89歳で、日本人の寿命が延びた中でもお二人とも“超”高齢者と言えるでしょう。 『死という最後の未来』は、そんなお二人がお互いの人生観や現在考えている事について対談されたものをまとめた本です。
 お二人とも本業は作家なのですが、石原氏は参議院や衆議院議員、それから皆さんご存知のとおり東京都知事として活躍された卓越した(私の評価ですが)政治家であり、曽野さんは公益・福祉事業を展開する資金力ある日本財団の会長を永年にわたり無報酬で務められた方です。曽野さんが非凡なところは、援助が本当に有効に使われているかご自分の目で確認するため、アフリカや東南アジアなどの発展途上国へ何度も足を運び、現地の状況に誰よりも詳しかったということです。また、亡き夫の三浦朱門氏ともどもカトリックの信徒でもあります。
 石原氏は対談の中で、未だ人生に未練があると話され、暫く前に脳梗塞を患われたのですが、回復された後でも体力維持のため相当量のスポーツに励まれているそうです。弟の裕次郎氏が早世されたせいなのかもしれませんが、まだやりたい事が沢山あって長生きを目指されているようです。それに対し曽野さんは、普段からいわゆる「断捨離」をしていることを著書で明かされているように、「もういつ死んでも思い残すことはない。」と話され、できる事は全てやり尽くしたと言われます。死生観が対照的なお二人ですが、曽野さんの達観した大人の考えに羨望を覚えると同時に、石原氏がやんちゃ坊主に見えてきて微笑ましい気もします。
 今回は曽野綾子さんについて書きたいと思うのですが、私は最近2年間位で、曽野さんのエッセイを集めた本を10冊程と『無名碑』という土木事業に携わった技術者を主人公にした本を読みましたが、豊富な経験に裏打ちされた数々のエッセイには共感する所、感心する点が数多くありました。
 曽野さんは、過酷な自然環境と社会条件にあるアフリカ奥地まで何度も足を運ばれているのですが、そういう場所で殆ど無報酬で奉仕活動を行い、そこで死ぬことを受け入れている多くの修道女の話には感動を覚えますし、またアフリカの厳しさを想像できない我々日本人に向けたメッセージには説得力があります。
 その他、曽野さん自らの体験や経験をもとにした多くの話がありますが、その中でも私の心に残ったものを二つほどご紹介します。一つ目は未成年者の自殺に関するもので、特にいじめ等により子供が自殺したと思われるケースにおいて、いじめの犯人を探す事に世間の関心がいきがちです。しかし、曽野さんはこう言われます。「こういう場合に大事なことは、子供たちに何があっても絶対に死んではいけないというメッセージを送ることです。あなたが苦しいのは、長い人生から見ればほんの一瞬に過ぎないのです。逃げてもいいし、あらゆる手段を使って回避してもいい。その時間が過ぎれば、この先どんなに良い事やすばらしい人生が、あなたを待っているかもしれない。命を無駄にしてはいけないと子供達に声を限りに呼びかけることが大事なのです。」
 二つ目は、曽野さんの心にずっと残っているというある産婦人科医の言葉です。「私たちが取り上げる赤ちゃんの中で、どうしても800人に1人位の割合で障害児が生まれます。その赤ちゃんはキリストと言ってもいいのかもしれない。他の赤ちゃんの苦難を一身に引き受けて生まれた子だから。私たちは一生懸命この子を幸福にする義務がある。こういう子は少なくとも一種の英雄だから。」曽野さんのエッセイを集めた本がたくさん伊万里市民図書館に並んでいますので、皆さん是非一度読んでみてください。
 次回は、石原慎太郎氏について書いてみたいと思います。



令和3年2月
『見残しの塔』
久木綾子/著 新宿書房 「本の詳細

 久木綾子(ひさぎあやこ)さんは、昨年(令和2年)7月に100歳で亡くなられたのですが、『見残しの塔』は久木さんが89歳の時に発表された小説で、この作品で作家デビューされました。久木さんは、この本を書くのに18年をかけたと言われていますので、71歳の時から資料集めを始められたことになり、これだけでも凡人の私は頭が下がる思いがします。『見残しの塔』は、山口県山口市にある瑠璃光寺(るりこうじ)五重塔の建設にまつわる話を主題とした小説ですが、この五重塔は日本三名塔の一つに数えられ、国宝にも指定されています。久木さんが瑠璃光寺五重塔の優美な姿に感銘を受けたことが、執筆の動機になっているようです。
 失礼ながら私は久木さんがご高齢であるが由に、この小説は落ち着いた筋書に違いないと思い込んでいたのですが、意外であったり、波乱含みの展開であったりと、二組の物語が一つに収束していく過程が興味深く、先を読みたい気持ちを抑えるのに苦労しました。読んでいて少し困ったことは、登場人物が意外に多く、名前と人間関係を充分理解できなかったことや、五重塔の部材の名称がたくさん出てきて、その数が多いうえに専門用語なども使われていて頭に浮かばないことがありました。そういうところにも、久木さんがこの小説を書くのにどんなに苦労され、勉強されたかが窺(うかが)われて、私よりはるかに高齢の方が書かれたとはとても思えませんでした。私たちもその気になって努力すれば、何歳であるかは関係ない、という勇気をもらえる本ですので、皆さん是非ご一読いただければと思います。
 ところで、私は何年か前に法隆寺を訪れた時、五重塔(日本三名塔の一つです)の美しい姿に感銘を受け、同時に塔が聖徳太子の時代からの姿をとどめていることに感動を覚えました。この五重塔は総ヒノキ造りの木造建築なのですが、木造の建物が何故そんなに長くもつのかと言えば、使用する木材の乾燥方法に秘訣があるようです。久木さんの説明によれば、天日乾燥5年の後、3~5年間水中乾燥し、さらに5年の間、天日で乾燥させるそうです。水中乾燥とは意外なのですが、こうすることで木の狂いの原因となる樹脂を抜き、色が良く、軽く、臭みがなくなるといわれています。五重塔などの貴重な文化財を保存するため、古来から匠(たくみ)の技や知識を後世にしっかり伝えていくことが大事だと思うと同時に、私は今、お寺や神社以外の建物にも、杉やヒノキなど日本に普通にある木材を積極的に使うこと、木材の需要を増やすことを真剣に考えるべき時だと思っています。
 日本の林業を産業として続けられるようにすることが重要で、その結果として森林が良い状態になり、杉やヒノキなどの人工林を伐採した後に自然林(雑木林)に戻したり、再び人工林(用材林)として杉林などにすることをバランス良く考えるべきです。鳥獣の餌となる木の実などが多い自然林が増えれば、イノシシ達も山で生活し易くなり里へ下りずに済むでしょうし、杉やヒノキの荒廃林がなくなれば、花粉症などのアレルギーで苦しむ人も減っていくでしょう。
 この本を読んで、そんなことも考えました。



令和3年1月
『日本、遙かなり』
門田隆将/著 PHP研究所 「本の詳細

 前回、トルコの軍艦エルトゥールル号の遭難について少し触れましたので、今回はその事件と日本が抱える国民の生命や財産にもかかわる大きな問題をとりあげた門田隆将氏の『日本、
(はる)かなり』を紹介したいと思います。
まだ日清戦争が起こる前の1890(明治23)年、日本とトルコ(当時はオスマン帝国)の親善のために横浜を訪れた後、帰国の途中でトルコの軍艦エルトゥールル号は、和歌山県沖で台風による荒天のため座礁、沈没します。同船には600名余りのトルコ軍人が乗り組んでいたのですが、全員海に投げ出され、かろうじて海岸にたどり着いた69名が地元の人々によって救出され、手厚い看護を施されます。 彼らトルコの軍人たちは、言葉も通じず習慣も違う地元の人々のやさしさに触れ、心を開き、打ち解けていき、ケガや体力等の回復を待って日本の軍艦で本国へ送り届けられます。この一連の出来事が「エルトゥールル号遭難事件」と呼ばれるもので、トルコの国民はこの事件について学校で子供達に教えたりして、感謝の思いとともに多くの人々の記憶にとどめています。
 それから95年を経た1985(昭和60)年、突然勃発したイラン・イラク戦争の中で、思いがけずトルコはその恩を日本に返すことになります。戦争が起こった時、イランの首都テヘランには多くの国の人々が取り残されており、その人達を救出することが関係国の緊急の問題になりました。それらの国々はテヘランに軍用機を派遣して、自国の国民を残らず救出したのですが、日本人だけは現地に取り残されたままになっていました。
 この理由というのが、自衛隊の海外派遣を「海外派兵」と言い募(つの)る人達が国会の中にもいて、これらの人達が強硬に自衛隊機をテヘランに向けて飛ばす事に反対したため、日本政府は自衛隊機の派遣を決めることができなかったのです。窮余の策として政府は、民間機の派遣を航空会社に依頼したのですが、当然のことながら戦争が起こっている危険な地域に飛行機を飛ばそうという会社はありませんでした。
 その後の経過は、この本を読んでいただければわかりますが、日本のある商社マンとトルコ政府の要人との個人的な人間関係を契機として、トルコ国民の理解(が得られるという考え)のもとに、トルコ政府は民間航空機2機をテヘランへ派遣します。結果的に、現地に居残っていたトルコ国民とともに200名以上の日本人が、この飛行機で戦地を脱出する事ができました。
 私が改めて思うのは、このトルコによる「邦人救出」の事を、今どれだけの日本人が知っているか、また当時の日本のマスコミがこの事をどれだけ報道したのか、また私達がその出来事を伝える努力をしてきたかということです。この『日本、遥かなり』には、この事件の他にも世界でこれまでに起こった紛争とその当事者になった日本人の運命が取り上げられており、読めば読むほど、日本はこのままでいいのかという暗澹たる思いになります。日本はその後、いわゆる安保法制が制定される時などには大騒ぎしましたが、世界で紛争が起こった場合に日本政府ができること、特に「邦人救出」の問題等に対処できる事は、殆ど当時と何も変わっていないのが現実です。
 新型コロナウイルス感染症の問題を議論するのはもちろんですが、日本が抱える重要な問題、特に安全保障や外交問題は山ほどあるのですから、国会は政権与党も野党も含めてしっかり議論して欲しいと思います。世界中から「日本人は恩知らずで、平和の毒に侵されている。」と言われないで済むように、もう少し何とかすべきだと思いませんか?
 


 →メニューに戻る