石原慎太郎氏は昭和7年9月生まれで現在88歳、曽野綾子さんは昭和6年9月生まれで現在89歳で、日本人の寿命が延びた中でもお二人とも“超”高齢者と言えるでしょう。 『死という最後の未来』は、そんなお二人がお互いの人生観や現在考えている事について対談されたものをまとめた本です。
お二人とも本業は作家なのですが、石原氏は参議院や衆議院議員、それから皆さんご存知のとおり東京都知事として活躍された卓越した(私の評価ですが)政治家であり、曽野さんは公益・福祉事業を展開する資金力ある日本財団の会長を永年にわたり無報酬で務められた方です。曽野さんが非凡なところは、援助が本当に有効に使われているかご自分の目で確認するため、アフリカや東南アジアなどの発展途上国へ何度も足を運び、現地の状況に誰よりも詳しかったということです。また、亡き夫の三浦朱門氏ともどもカトリックの信徒でもあります。
石原氏は対談の中で、未だ人生に未練があると話され、暫く前に脳梗塞を患われたのですが、回復された後でも体力維持のため相当量のスポーツに励まれているそうです。弟の裕次郎氏が早世されたせいなのかもしれませんが、まだやりたい事が沢山あって長生きを目指されているようです。それに対し曽野さんは、普段からいわゆる「断捨離」をしていることを著書で明かされているように、「もういつ死んでも思い残すことはない。」と話され、できる事は全てやり尽くしたと言われます。死生観が対照的なお二人ですが、曽野さんの達観した大人の考えに羨望を覚えると同時に、石原氏がやんちゃ坊主に見えてきて微笑ましい気もします。
今回は曽野綾子さんについて書きたいと思うのですが、私は最近2年間位で、曽野さんのエッセイを集めた本を10冊程と『無名碑』という土木事業に携わった技術者を主人公にした本を読みましたが、豊富な経験に裏打ちされた数々のエッセイには共感する所、感心する点が数多くありました。
曽野さんは、過酷な自然環境と社会条件にあるアフリカ奥地まで何度も足を運ばれているのですが、そういう場所で殆ど無報酬で奉仕活動を行い、そこで死ぬことを受け入れている多くの修道女の話には感動を覚えますし、またアフリカの厳しさを想像できない我々日本人に向けたメッセージには説得力があります。
その他、曽野さん自らの体験や経験をもとにした多くの話がありますが、その中でも私の心に残ったものを二つほどご紹介します。一つ目は未成年者の自殺に関するもので、特にいじめ等により子供が自殺したと思われるケースにおいて、いじめの犯人を探す事に世間の関心がいきがちです。しかし、曽野さんはこう言われます。「こういう場合に大事なことは、子供たちに何があっても絶対に死んではいけないというメッセージを送ることです。あなたが苦しいのは、長い人生から見ればほんの一瞬に過ぎないのです。逃げてもいいし、あらゆる手段を使って回避してもいい。その時間が過ぎれば、この先どんなに良い事やすばらしい人生が、あなたを待っているかもしれない。命を無駄にしてはいけないと子供達に声を限りに呼びかけることが大事なのです。」
二つ目は、曽野さんの心にずっと残っているというある産婦人科医の言葉です。「私たちが取り上げる赤ちゃんの中で、どうしても800人に1人位の割合で障害児が生まれます。その赤ちゃんはキリストと言ってもいいのかもしれない。他の赤ちゃんの苦難を一身に引き受けて生まれた子だから。私たちは一生懸命この子を幸福にする義務がある。こういう子は少なくとも一種の英雄だから。」曽野さんのエッセイを集めた本がたくさん伊万里市民図書館に並んでいますので、皆さん是非一度読んでみてください。
次回は、石原慎太郎氏について書いてみたいと思います。